行徳生活日記

Web「行徳雑学館」作者の日記

2026年10月14日(水)の日記

老人ホームに入っている母親に会ってくる。今回はその老人ホームがあるところの中心市街地で、一緒に食事をしてそのあとコーヒーを飲んで終わり。帰りは晩飯の時間よりもだいぶん早くなった。

行徳駅を降りてから西友4階の本屋で、デスクの前に掛けている来年のカレンダーを買う。毎年使っている2ヶ月表示タイプの高橋E91。

すぐ開封して、今年分のうしろに掛ける。3ヶ月か4ヶ月ぐらい先の予定を書き込むことがあるからだ。

晩飯は午後6時台に食べに出る。松屋行徳南店へ。

期間限定メニューのネオカシミールカレー。それと生野菜。

カシミールカレーは食べてみるとけっこう辛い。松屋の公式サイトにこのメニュー発売のニュースページがあって、同じ松屋グループのマイカリー食堂で人気があったメニューを食べやすくしたということが書いてある。

マイカリー食堂ではないが、かなり前にカシミールというカレーを食べたことがあった。でも今日、食べるまでカシミールカレーが辛いということも忘れていた。

どこで食べたかというと、地元に短い期間あったカレーの店で。もう17年前の2009年のこと。行徳駅前二丁目の南中央商店街に、中華の店がいろいろ店名が変わりながら続いている場所がある(今は紫源春という店)が、2009年の6月頃から2010年の1月までの半年あまりは2つのカレーの店があった。最初はカレー屋レストラン印度。長くは続かず、そのあとに居抜きでCurry Kitchen カシミールができたが、こちらも長くは続かなかった。メニューはどちらもほとんど同じで、カシミールカリーがあった。食べると口の中がヒリヒリしてくる、かなりの辛さだった。

過去日記を探すとどちらの店でもカシミールカリーを1回ずつ食べている。カレーやレストラン印度では2009年6月27日に、Curry Kitchenカシミールでは2009年12月20日。

松屋のネオカシミールカレーは確かに辛いが、記憶に残っている17年前に食べたカシミールカリーほどではない。確かに辛いカレーだが食べやすい味付けになっていた。

2026年10月12日(月)の日記

洗濯物や買い物などやることもあるから、Web(行徳雑学館)に昨日の五ヶ町例大祭のレポートを作るのをその合間にやり、午後3時半頃にUPした。

一昨日と昨日、けっこう歩いているので今日は脚が疲れてだるい。風呂でしっかり揉んだのが効いたか、一昨日の夜のように寝ているときに急に攣ったりすることはなかった。だけど、今日は歩くときは脚に負担をかけないようにゆっくりと歩く。早足のような地面を強く蹴るのでふくらはぎに力がかかることはやらないように気をつける。

というのも一昨年(2024年)、祭りを追いかけた翌日に買い物に行って歩いていたら、左脚のふくらはぎが肉離れになったというのがあるから。2024年の10月13日(日)は関ヶ島と下妙典の2ヶ所だった(→2024年10月13日の日記)。撮影した画像のタイムスタンプを見ると、祭りを追いかけたのは午前9時半頃から午後3時頃まで。つまり、昼飯の時間を挟んで約5時間半。前後の自宅との間の移動を含めると6時間半程度だろう。ところが、翌日(→2024年10月14日)に買い物に行った帰りに歩いていると、突然、左脚のふくらはぎに痛みが走った。そのときは祭りを追いかけた疲れで脚が攣ったのだろうと思ったが、痛みが引かない。翌日(→2024年10月15日)も痛みが続くので、ようやく肉離れだと分かった。肉離れはひどいものだと歩けなくなるらしいが、痛くても歩けたから軽いものだ。でも、痛みが消えるまで2週間程度かかった。

12年前-2014年の五ヶ町のときは全町の渡御を追いかけようと(さらに同じ日の関ヶ島も追いかけようと)、午前6時のしばらく前に本行徳一丁目に行った。そして、本塩の豊受神社で宮入りしたのが午後8時半頃だったので、15時間近く歩き回ったことになる。自宅との間の移動も加えると16時間ぐらいにはなるだろう(→2014年10月12日)。だけど、肉離れのような不具合もなかったし、特別疲れたという覚えもない。

一昨年に肉離れになったときは、コロナ禍の間、運動不足気味だったのが影響したのかと考えた。だけど、やはり還暦は過ぎているし、加齢による身体の劣化だと思うようになった。ダンベルエクササイズで筋肉の維持には努めているが、祭りを追いかけるような長時間の活動に対する耐久力が落ちてきたのではなかろうか。老化はこういう形で出てくるのかと思えてきた。

そして、去年も祭りを追いかけた翌日は脚に負担をかけないように、ゆるゆると歩くようにした(→2025年10月13日)。今年もまたそのようにする。肉離れになると、軽いものでもしばらく痛みが続き、あまり愉快なものではない。

ゆるゆると歩いて行徳駅前へ昼飯と買い物に行く。空には秋の薄い雲が出ていたが、昼間は日差しが強く暑い。

昼飯はマクドナルドでマックポークセット。ポテトはM→Sに変更。ドリンクはアイスコーヒー。

7月に閉店したマルエツ行徳店が入っていた建物(大徳ビル)は、ずっと工事の覆いが掛けられていたが、取り去られ足場の解体が始まっていた。

ネット上では次に入るテナントの情報が流れているが、徐々にそうしたテナントの入居準備が行われていくのだろう。

昨日は祭りを写しに行くため、決して早朝ではないがふだんの朝と同じぐらいの時間に起きる必要があった。それで、土曜日には飲まなかった。その代わり、今日の夜に飲むことにする。

家飲みで、缶ビール350mlとウィスキーを炭酸割りで。ビールはサントリー生ビール。ウィスキーは9月5日に開封したJ&B RARE。

メインのつまみは鶏もも肉とキャベツの白ワイン蒸し。

チーズ鱈と柿ピー(亀田の柿の種)。

ビールを飲み終え、J&B RAREを炭酸割りにして飲む。

締めは冷凍のビーフドリア。

2026年10月11日(日)の日記

行徳五ヶ町例大祭の本祭りだが、過去に撮影しに出かけたときのことを考えると、本行徳の二丁目と三丁目が他の町と比べ、撮影した量が少ない(神輿渡御を追いかけた時間が少ない)ように思える。それで、今回はこの2つの町の渡御を撮影することにした。

五ヶ町の神輿渡御は本行徳一丁目で午前6時に始まり、そのあとはおおよその目安として各町それぞれ2時間ずつとされている。だけど、多くの場合はどんどん後ろ倒しになっていく。3年前の2023年は強雨で前倒しになっていたようで、おおよその目安では三丁目の時間に、もう四丁目へ渡されて神輿が待機中だった。でも、そういうのは例外的なもの。

さて、おおよその目安時間で三丁目渡御の途中ぐらいになるよう出かけ、寺町通りを通って午前9時10分を過ぎたぐらいに行徳街道の本行徳一丁目に着いた。すると、一丁目の渡御を終えた担ぎ手たちが引き揚げていく姿が見えたので、二丁目へ渡されてからまだそれほど経っていないようだ。つまり、おおよその目安の午前8時からだいぶん過ぎたところで渡されたのだろう。

神輿は呉服の越後屋の少し先にいた。この越後屋の少し手前あたりが一丁目と二丁目の境界。

揉みを終えた神輿は先の三丁目方向へ向かわず、反対方向を向いて一丁目のほうへ進んできた。

と思ったら、旧江戸川方向の脇道へ入っていく。どこへ向かうのだろうと思ったら、行徳児童公園に入っていった。そして、公園の芝生の広場で行徳揉み(写真は差し)。

やはり二丁目に来た回数が今ひとつ少ないためか、行徳児童公園が渡御ルートに入っていることを今回初めて知る。

揉みを終えて休憩。その間に記念撮影が行われていた。

再び行徳街道へ戻るが、今度は反対側の脇道で圓頓寺の参道へ入っていく。そして、圓頓寺脇の道をさらに進む。

その先に休憩場所が用意されていて、そこまで来て行徳揉み(写真は地すり)をやって休憩に入る。

こちらの場所は、かなり前に二丁目渡御のタイミングで来たとき、神輿を探すと休憩中のところに出くわしたことがあった。

行徳街道へ出て要所で揉みを行いながら進む(写真は放り受け)。

さらにもう1回、行徳街道の旧江戸川の側にある大規模マンション-コスモ市川妙典の敷地での休憩があった。その頃になると、三丁目の方向には町の境界で神輿を運ぶ白丁の人たちと、その向こうには三丁目の担ぎ手が集まってきていた。

神輿は三丁目方向へ進む。

境界手前で行徳揉みをやって、担ぎ手たちが渡されまいともと来たほうへ逃げるが、巨大な神輿の揉みはきついようで、2回目の揉みのあと捕らえられ二丁目渡御は終了となった。

白丁が高張提灯、太鼓、榊、そして神輿を運び三丁目に入る。

神官が神輿の前で神事を行う。

三丁目渡御の開始。開始のときは馬(神輿を置く脚)から上げて行徳揉みだが、差しから始まる。

そして放り受け。

そのあと、地すり-差しー放り受けを行う。

行徳街道を進みながら、要所で行徳揉みを行う。

八幡神社の前へ来て行徳揉み。まず地すり。

差し。

八幡神社境内に入るので、その方向を向いて放り受け。

八幡神社に入って行く。

拝殿の前で行徳揉みを行い、神輿を馬に置いて手締めで一旦、終了。

ちょうど正午頃だった。渡御は一時休憩に入る。

自分はここで引き揚げる。最初からその予定だった。12年前の2014年のときは午前6時の一丁目の渡御開始から、日が落ちたあとの本塩豊受神社の宮入まで追いかけた。しかも、同じ日に行われた五ヶ町のとなりの関ヶ島の例大祭も合わせて、静止画と動画を撮影した。そのときで50代のまだ前半だからできたのだろうけど、65歳の今はさすがにもうできない。

本行徳三丁目から本塩の中台神輿の前を通り、市川浦安バイパス沿い富浜三丁目のすき家行徳北店で昼飯にする。2014年のときも神輿渡御が三丁目の八幡神社で休憩に入ったときに、このすき家に来て食べていた。

牛丼並とおしんこランチセット。

帰ってパソコンへ撮影データを移す前に、パソコン用チェアをリクライニングさせ脚載せ台を引き出し、軽く昼寝しようとした。すると、ウトウトしていたら左の足からふくらはぎにかけてが急に攣った。昨日も宵宮でわりと歩いてきたが、夜中に寝ていたら同じところが突然攣って目が覚めた。やはり、身体の老化が徐々に進んでいるのだろう。

晩飯はコンビニ惣菜のにしんの塩焼。副菜だが、冷蔵庫になすとピーマンがあるので、その材料で簡単に作れる煮浸しにする。

五ヶ町例大祭で撮影したものだが、今日はまず、動画の編集とYouTubeへのUPをやる。静止画とテキストだけでは伝わらない実際の動きや音などの情報を補完するためのものなので時間は短め。3分49秒。

あとは、Webのレポート用とこの日記用の縦横サイズを小さくした画像を用意する。Webのほうは明日やることにして、今日はこの日記を書いてしまう。

2026年10月10日(土)の日記

すっきり晴れるのはいいが、昼間は25度超の夏日になる。日が差して室温が上がったときは、20分か30分ぐらい冷房を入れて冷やす。

昼飯は行徳駅前公園の西側にあるイタリアンのヴィヴァリーチェへ。この店が入っているモロマンションはちょうど大規模修繕のもよう。

ランチメニューからボスカイオーラ(キノコとツナのトマトソーススパゲティ)。

 

今日と明日が行徳五ヶ町の例大祭。3年前の本祭りの日は低気圧通過で冷たい雨の中の神輿渡御だった。今年は異常気象というべき8月下旬からの長雨がやっと終わり、2日とも快晴になるようだ。今日は宵宮。天気は穏やかだし、自分のほうはリタイアで時間が取れるようになったこともあるし、久しぶりに宵宮の光景を写しに行く。

午後6時ちょうどぐらいに本行徳一丁目の豊受太神宮に着いた。

拝殿前で出陣を待つ神輿。

拝殿脇で湊囃子連によるお囃子演奏。そばにあるのは子供神輿。

神社がない本行徳二丁目は行徳街道沿いに御神酒所が設けられる。

本行徳三丁目の八幡神社。

行徳街道と鳥居の間にはキッチンカーが来ていた。

鳥居をくぐった先、参道の脇では行徳太鼓連による和太鼓演奏。

本行徳四丁目の神明神社。

舞台が設営されているが、着いたときはまだ何もやっていなかった。午後6時半を過ぎた頃から浦安囃子保存会によるお囃子演奏が始まった。

本塩の豊受神社に来た。

境内の自治会館脇に設営された舞台で演芸会が行われているようだが、それにしても随分と騒々しい。この時間は、どうも地元出身者が組んだロックバンドがライブをやっていたようだ。

豊受神社脇の街路には露天商の店が並ぶ。

ここまで回ってくるのに約1時間かかった。

妙典駅へ戻り、高架下のマーヴ妙典にあるれんげ食堂で晩飯にする。

レバニラ炒め定食。

デジタル一眼レフを持って行ったが、重いカメラを持ち歩いたためか、帰ってこの日記を書いているとどんどん眠気に襲われる。やはり、50代のときと比べて60代半ばはかなり体力が落ちている。

2026年10月8日(木)の日記

千葉市美術館で行われている展覧会へ行く。ランチタイムのピークになる前に昼飯をすませようと、午前11時半頃に千葉駅に着くように出かけた。

JR高架下商業施設の地階にある飲食店街で、築地食堂源ちゃんに入る。

サーモンとアボガドの醤油糀漬け丼。

千葉市美術館で今、行われている企画展は「月と星とー美術がつなぐとき」。千葉開府900周年記念特別展ということ。

美術展の紹介サイトで、この展覧会のことを最初に聞いたとき、千葉の開府と月や星がどうつながるのか分からず戸惑った。いろいろ調べると次のようなことだと分かった。

千葉の開府とは平常重が今の千葉市中央区亥鼻に本拠を移したのが1126年(なので今年でちょうど900年)。そして、本拠を移してから千葉姓を名乗るようになったということだ。千葉氏は守護として妙見を信仰していたということだが、妙見信仰とは北斗星と北斗七星を神格化しての信仰。妙見を人の姿にしたものが妙見菩薩、あるいは妙見様。それで、月や星に関わる古くからの美術作品や現代の美術の展覧会となったようだ。

また、千葉氏に関しては、自分はこれまで調べたことがなく、断片的に聞いた話から漠然としたイメージしか持っていなかった。千葉氏が本拠にしていたので、そこから千葉という地名ができたのかと思っていたが、これはまったくの誤解。千葉という地名は万葉の時代からあるもので、平常重が本拠とした地名を姓にしたのだった。

千葉になる前の姓は平だが、平清盛と同じ桓武平氏の一族。同じ一族と言っても時代を経るほどいろいろな系統に分かれ、主に領地絡みのようだが対立が起こってくる。千葉氏となった系統と平清盛の系統との間にも対立があったようで、その結果、千葉開府から数十年後の源平合戦の時代には千葉氏は源頼朝に付いた。

その後の千葉氏は紆余曲折あったが、大名としては続いていた。しかし、戦国時代に小田原北条氏に付いていたことから、豊臣秀吉の小田原征伐後に所領を没収され大名としての千葉氏は滅んだということだ。

さて、千葉市美術館へ向かう前に寄っていこうと思うところがある。それは千葉氏が妙見を祀った千葉神社。神社から美術館へは約300mですぐ。なお、かつてスポーツタイプの折りたたみ自転車であちこち行っていた頃、家から千葉市中心部まで走ったことがあるが、そのときに千葉神社は来ていた。いつだったか記録を探すと16年前で2010年8月15日。朱塗りの社殿が珍しく、最初はお寺かと思ったら実は神社ということでちょっと驚いた覚えがある。

千葉駅正面からの大通りを歩き、千葉都市モノレールと交差するところで脇へ入る。

200メートルぐらい行くと通町公園。樹木の向こうに千葉神社の朱色の建物が見える。

千葉神社は戦災で焼けて昭和20年代に一旦、再建されたということだが、その後、平成に入ってから今あるような朱塗りの社殿が建てられたとのこと。通町公園の側にあるのが分霊社・尊皇殿。

公式サイトによると「神社建築では類例のない楼門と社殿の複合建築物」だということ。

とはいえ、脇のほうに鳥居がある。

神社の正面玄関はやはり鳥居なのでそちらからお参りする。

社殿。これも珍しい重層社殿だという。境内にはお宮参りや七五三参りに来た人たちの姿があった。

社殿の扁額には祀られている妙見の名。

社殿の向かって左には、千葉天神がある。その案内板。

天神様への祈願として、受験合格、学業向上、ボケ封じ、智恵授けとある。自分はリタイアして、情報システム関係の資格試験を受けることはもうない。だけど、今の年齢だと、ボケ封じは祈願しておいたほうがいいと思え、お参りしてきた。

千葉天神。

建物は戦後に再建された社殿のもので、今の朱塗りの社殿ができるときに移築し、天神様の祈祷所にしたということだ。

次はいよいよ千葉市美術館へ。

通りに面してあるが前の歩道からだと建物全体を写せない。まず、下のほう。

そして上のほう。

円い柱のところが入口かと思ったがそうではなく、脇のところから入るようになっていた。

入口脇に企画展「月と星と-美術がつなぐとき」のポスター。

企画展の受付はエレベーターで上がる8階。ところが1階のエレベーターホールのそばにドアがあり、その向こうがホールになっていて、ポスターに写真が載っている彫刻が展示されていた。ここは入場料なしで入ることができた。

この彫刻は、三沢厚彦「ANIMALS」。写さなかったが他の彫刻も置かれていた。上の翼があるライオン(だと思う)の後ろへ回ると、尻尾が蛇だったり背中に人間の顔があたりする。

自分にはすぐに理解できるものではないが、アーティストの感性とはこういうものだと思うしかない。

8階で入場券を買い、「月と星と-美術がつなぐとき」の展示エリアへ。

最初のほうは原則撮影禁止で、一部に撮影可能なものがあった。その中で興味を感じたものを写した。

田岡春径 妙見尊出現之図。1967年(昭和42年)に壁画として描かれたものを修復したものという。妙見を人の姿に描いたもののひとつ。

この作品を含め、最初のほうで撮影可能なものは千葉市立郷土博物館が所蔵するものだった。

次は江戸時代に使われた星図。江戸後期に西洋のものが入ってくるまでは中国流の星図が使われていたということだ。これは中国から持ってこられたであろう星図。

日本人が初めて星図を作ったのは1699年のことだという。渋川春海・渋川昔伊の「天文成象」。

これは1730年にドイツで作られた天球儀。

古い時代から続く星空への興味を、各時代の人間が形にしたものだが、どうもこのコーナーを見ていると美術館というより科学博物館の展示のように思えてきた。

次は現代アートの展示「月星をめぐるアートの現在、そして未来」に入る。

こちらは原則撮影OKで、一部にだめなものがある。

植松琢麿「SCULPTOR’S SNACK̶ GROUND」

ポップコーンを模した彫刻を散りばめて星々に見立てたのだろうと思った。だけど、解説パネルを読むと、コーンが破裂してできるエネルギーや破裂による反転なども意識されているという。

タイガー立石 (立石紘一)の作品

草間彌生「星雲」

草間彌生はついこの間、訃報が流れた。この人は写真や映像での外見のインパクトがやたらと強いため、そちらが印象として残り、実際、作品を間近に見たことはなかった。だけど今回、作品を間近に見ると引き込まれていきそうな、そうした力を感じさせるものだった。

自分がアート展にいろいろ行くようになったのは、リタイア生活に入った去年から。そして、なかなか印象を言葉にしにくい現代アートだが、まずは行ってみて体感すべしと思えるようになっている。今回もその姿勢で体感することにした。

最初の部屋は複数のアーティストの作品が展示されていたが、そのあとはアーティストごとに一部屋の構成。

宮内由梨「星と領土」

暗い空間で映像を映し出す没入型のアート。

曼荼羅+星図という感じだが、近づいて見ると曼荼羅のようなものに描かれているのは仏様ではなく、みんな骸骨。

渡辺泰子の作品

企画展の展示は8階ともう1フロアで7階。次は7階の展示。

まず、青木野枝「光体」

次は真っ暗な部屋でLEDの照明を使った作品(宮島達男「地の天」)があったが撮影禁止。そこから出たところは1階のホールと同じ三沢厚彦「ANIMALS」。

1階のは特大のものだったが、こちらが本来の大きさなのかもしれない。

川内理香子の作品

髙田安規子・政子の作品

一卵性双子のユニットとして活動しているとのこと。

企画展を見終わり、5階の常設展示を見る。そして、5階ロビーにあった展示で、実はこの千葉市美術館は同じ場所に昭和初期に建てられたネオ・ルネサンス様式の旧川崎銀行千葉支店の建物を、すっぽり包み込むように建てられていると知る。その建て方を鞘堂方式といい、さきほどの1階のホールは保存された旧銀行の建物で、今はさや堂ホールという名前になっているということだ。

前にテレビで、千葉市で古い建物を保存するため、包み込む形で新しいビルを建てたものがあるというのを見たことがあったが、それがどこかということまで覚えていなかった。なので、千葉市美術館がそうだというのも最初は気付かなかった。

帰りに1階へ下りたとき、ロビーから改めて見ると、さっきの1階ホール部分が古い建物だということが分かる。

ドアを出てから見ると、こんな感じ。完全に新しいビルの中に入っているのではなく、一部分は外から見ても分かるようになっている。

行徳駅へ帰ってきたのは午後6時少し前。今の季節はその時間はすっかり暗い。

晩飯はやよい軒でチキン南蛮定食。

サバの塩焼や味噌煮は1,000円を超えていた。チキン南蛮と肉野菜炒めが990円とぎりぎりのところ。しょうが焼はまだもうちょっとだけ安い。だけど、いろんなものが次々値上げになるご時世だ。こういうのも1,000円超になるのは時間の問題かもしれない。

2026年10月7日(水)の日記

昨日は夕方になるほど晴れてきた。その続きで今日は朝からすっきりした晴れだろうと思っていたら、どんより曇っている。スマホで時系列予報を見ても、徐々に晴れマークが後ろになっていく。「まったく何だよこの天気!」と思う。だけど正午近くなってやっと日が差し、青空が見えてきた。

午後12時半頃。昼飯を食べに出たときの行徳駅近く。

駅高架下のCoCo壱番屋へ。

10月ぐらいになると、いろいろな店でカキフライメニューをやるようになる。CoCo壱番屋でもやっているから食べようと思った。

カキフライカレーとヤサイサラダ。ご飯の量とカレーの辛さはどちらも”ふつう”。

市川市のデジタル地域通貨ICHICOの還元キャンペーンが始まっている。使える店は小規模店や個人店が多いが、大型のチェーン系の店もある。還元率は小規模店、個人店はだいたいが30%だが、チェーン系のほとんどは10%。だけど、チェーン系にも30%の店が若干ある。使えるお店一覧(南部版)のPDFを見ると、CoCo壱番屋の行徳地区の3店(妙典駅高架下、行徳駅高架下、南行徳駅北口近く)はいずれも30%。今日、CoCo壱番屋へ来たのはカキフライカレーを食べたいと思ったこともあるが、ICHICOを使うなら還元率の高い店がいいということもある。

晩飯は豚肉こまぎれとキャベツ、ピーマンをコチュジャンと豆板醤の合わせピリ辛炒めにする。副菜はレトルト惣菜のポテトサラダ。

そして、今日はダンベルエクササイズ。下半身メニューをやる。

2026年10月6日(火)の日記

昨日は天気が悪い上に変に涼しくなって風邪を引くのではないかと思えた。だけど、今日は回復。快晴ではなかったが日差しは十分にあり、厚いジーンズを朝、ベランダに干して午後2時頃には乾いていた。

あとになるほど空の青い部分が多くなる。今の時期は午後5時でまだ明るい。次の写真のような空だった。

明日以降は天気はかなり安定しそう。

晩飯はコンビニ惣菜の銀鮭の塩焼。そして焼なすを作る。

2026年10月4日(日)の日記

上妙典八幡神社の例大祭は今日が本祭り。午後2時すぎに出かける。この前、自治会の街頭掲示板で見たが、神輿渡御は午前中から昼休み時間を挟み午後3時半までが中神輿、午後4時からの1時間が大神輿の予定。なので、中神輿の最後のほうと大神輿を静止画、動画とも撮影しようと考えた。

午後3時少し前に旧成田街道沿いのオアシス妙典に着く。3年前の前回からここが神輿の御旅所になっている。このあと渡御に使われる大神輿が鎮座していた。

中神輿の姿はないが、3年前も氏子となる地域(妙典一丁目、二丁目)で休憩中だった。妙好寺の先の信号を二丁目方向に曲がっていくと、江戸川放水路の堤防で行き止まりになる道で休憩していた。

午後3時10分過ぎぐらいにようやく渡御再開。

昨夜、八幡神社の境内では祭り囃子を山車の上で演奏していたが、今日の本祭りではトラックの荷台での演奏だった。

行徳揉みは交差点など要所で行われるので、最初の交差点のところでそのようすを写そうと思っていた。ところが、揉みに入らずそのまま通過。

旧成田街道との交差点でも行わず、そのまま旧成田街道へ入って進む。

八幡神社参道入口でやるのではと思ったが、そこも通過。いったいどうしたのだろうと思えてきた。

オアシス妙典に着くと、神輿を馬に置いて手締め。

すると、自治会の祭礼責任者の話が始まった。渡御で怪我人が出て病院へ運ばれたということで、この時点でもって渡御は中止。このあと予定されていた大神輿の渡御も行わないということ。また、神輿は八幡神社へ運ぶので担ぎ手に協力をお願いするということだった。

おそらく休憩前の時点で怪我人が出る事故が起こったのだろう。それでさっき行徳揉みなしでオアシス妙典まで移動するだけにしたのだと分かった。

さっそく神輿の片付け準備が始まった。

中神輿はそのまま担がれて八幡神社へ向かっていった。

大神輿は少し準備が必要。大神輿は重量級なので四天棒を組んで渡御を行う。だけど、宮入りのときは直前に二本外して二天棒にする。これは大型の神輿を四天棒にしたときの横幅では、八幡神社の参道を通れないため。今回は予定の宮入りではないが、やはり参道を通すために二天棒への組み替えが必要だ。

二天棒にした大神輿がオアシス妙典から進んできた。

八幡神社参道へ曲がる。

参道を八幡神社へ進んでいった。

 

自分が考えていた予定では、午後4時からの大神輿渡御も追いかけて撮影してから帰るつもりだった。そして今日は動画を編集してYouTubeにUPするのとこの日記を書くのをやり、明日にWeb(行徳雑学館)のレポートをやろうと考えていた。

ところが今回は動画は結局、映さなかった。また、大神輿を追いかけるのもなくなったので、帰りが予想より早くなった。なので、今日中にWebとこの日記の両方を片付けることにした。Webのほうは晩飯の前に終わってUP。この日記は晩飯のあと。

元の予定でも今日の晩飯は家で作らず、コンビニで弁当を買って食べるつもりだった。予定は少し変わったが、いろいろやることがあるのは同じなのでやはりコンビニで買って帰る。

買ったのはシューマイ弁当。

2026年10月3日(金)の日記

この週末は上妙典八幡神社の例大祭だが、今日の夕方から宵宮。午後5時を過ぎるぐらいに出かけてくる。

妙典の旧成田街道で八幡神社の参道入口。

着いたのは午後5時45分ぐらい。八幡神社境内では神輿への御霊入れが行われていて、もう終わろうとするときだった。

御霊入れが終わり、神輿蔵の中で神輿を整える作業。

境内に置かれた祭り囃子の山車では、本塩囃子保存会と妙典囃子保存会が演奏。

行徳へ戻り、駅高架下の日高屋で軽く飲んで食べることにする。

生ビールとザーサイ。

枝豆。

ドラゴンチキン。

生ビールの次はハイボール。

つまみは追加でもう一品。ネギチャーシュー。

飲み物ももう1杯でドラゴンハイボール。

締めは半チャーハン。

今日は正午過ぎに雲が出たが、あとはほぼ晴れ。明日の予報では1日曇りだが、雨は降らなさそうだ。

2026年10月1日(木)の日記

昨日の予報では、今日の昼頃から晴れマークが付いていたが、朝からしっかりと日が差した。いずれにしても久しぶりに青空を見る。

昼飯に出たときの行徳駅近くの行徳駅前通り。

昼飯はサイゼリヤの平日ランチ。ワンコイン(500円)のパスタものでタラコソースシシリー風。

晩飯は家で豚肉こまぎれとなす、ピーマンの味噌炒め。副菜はレトルト惣菜のごぼうサラダ。

夕方の天気予報を見ると、明日は関東の南海上に小さい低気圧が発生するらしい。他は晴れだが、関東南部だけが曇りか弱い雨などと言っている。台風が去り、秋雨前線の停滞も終わり、ようやく気持ちよく晴れたのに、「まったく何だよ!これは!」と言いたくなる。明後日の土曜日は晴れが戻るらしいが。