今朝は弱い雨が残っていたが、そのあと夕方ぐらいまで雨は降らなさそうな予報なので展覧会をひとつ見に行く。秋雨前線が南下して10月並の気温になるという予報だったし、実際、気温がぐっと下がったので、トップスは長袖、ボトムスは春秋物のパンツで出かける。
行き先は六本木一丁目の泉屋博古館だが、六本木一丁目駅を降りてまず昼飯。これまで六本木一丁目に来たときの昼飯はアークヒルズでばかり食べていたので、今回は泉ガーデンタワーにある店で食べることにした。
六本木一丁目駅の改札を出たらすぐ前が泉ガーデンタワーの入口。

あらかじめ調べてあった店だが、2階にあるインドネシア料理居酒屋のワヤンバリへ。

オフィスワーカーのランチタイムのピークが過ぎたであろう午後12時半頃だったが、それでも自分の前には3組いて、入るまで10分程度待った。
ランチメニュー。

左上に載っているナシ チャンプルがおすすめNo.1メニューのようだ。インドネシアの料理をいろいろ盛合わせたプレート。1,480円とちょっと高めだが、インドネシア料理は食べたことがないので、この機会に食べることにした。
ナシ チャンプル。料理のプレート以外にスープが付く。

ランチにはドリンクも付く。ホットティーにした。

コーヒーもあるが、展覧会のあとにコーヒーを飲みながらノートPCでこの日記を書く作業をするつもりなので、昼飯のときはやめておく。紅茶よりコーヒーの方が利尿作用が強そうだし。
店の入口の貼り紙を見て「えっ!」となる。なんとこの店は明日の9月11日(金)で営業終了。ビルの都合のよるとのこと。

入った店が閉店間近だったというのは前にもあった。去年の9月に南房総へ旅行したとき東京駅前から高速バスに乗る前、八重洲地下街のカレー屋で昼飯を食べたが、その店がまもなく閉店ということだった(→2025年9月4日の日記)。
八重洲地下街のその場所はカレーの店を集めた区画で、閉店予定だったのは自分が入った店だけだった。今日の泉ガーデンタワーの2階は入っていくと営業している店がなく、このインドネシア居酒屋だけがやっていた。最初は変だなと思ったが、どうも2階の店舗エリア全体を刷新するのだろうと思われる。通路は改装工事の壁が設置されていたり、シャッターが降りていたりする。

シャッターが降りているところはイタリアンの店だったらしいが、7月に閉店という貼り紙が残っていた。
泉ガーデンタワーを出て泉屋博古館へ向かう。泉屋博古館は今年になってから初めて来て、今回で3回目。1回目(1月22日)と2回目(3月5日)はいずれも鹿子木猛郎展。そのときはいずれも、アークヒルズの最初に出来た部分とサウスタワーの間にある2本の坂をそれぞれ探検がてら歩いて行った。1回目は再開発でアークヒルズが出来る前からあったであろう道源寺坂。2回目はアークヒルズが再開発で出来た頃に作られたであろうスペイン坂。どちらも上りきると泉屋博古館の裏手に出る。そして北側から回り込むルートで行った。
泉ガーデンタワーも住友系だし、そこから住友東京別邸跡の泉ガーデンを通って泉屋博古館へ行くのが、神社仏閣で言えば表参道にあたるだろう。今回、そのルートで初めて行く。

入り口脇に今回の展覧会のバナーが掲げられていた。

「没後100年記念 住友春翠 仕合せの住友近代美術コレクション」
住友春翠は住友家第15代当主(「春翠」は雅号)。明治時代中期から大正時代に芸術家の援助者(パトロン)として活動し、支援や、西洋美術の日本への紹介のために、多くの美術品を購入したとのこと。この展覧会はそのコレクションの展示、そして住友春翠の人となりの紹介を行っている。
なお、展示作品は基本的に撮影禁止。例外として2作品だけ撮影可能なものがあった。
そのひとつ。クロード・モネ「サン=シメオン農場の道」。

もうひとつもクロード・モネの作品で「モルソー公園」。

今年前半に鹿子木猛郎展を見に来たが、その鹿子木猛郎も住友春翠に留学の支援をしてもらった人物。また、洋画の購入の取り次ぎも行っていたということだ。
今回の展示で最初のところの説明パネルで強調されていたのが、「ノブレス・オブリージュ」(→Wikipedia)。明治時代の実業家は西洋からそうした精神を学んで実践していたようだ。芸術家の支援もそうしたことのひとつ。住友春翠もだし、横浜本牧の三渓園を作って市民に開放した原三渓もそう。原三渓も明治の芸術家を支援していて、その1人が今年、展覧会を見に行ったが日本画の下村観山(→4月30日)。それで関心が湧いて、若いときから約40年ぶりに三渓園へも行ってきた(→6月16日)。
また、背景として、明治時代の日本人に、新しい時代に西洋に引けを取らない日本を作ろうという、いわば「青雲の志」もあっただろう。
だが、こうしたことは自分の若いときはなかなか知ることができなかった。10代の頃は1970年代で、まだ戦後30年前後の頃。戦後、GHQの占領政策で住友を始めとする財閥解体(→Wikipedia)が行われたが、1970年代でも世の中に広まっていて自分の頭にインプットされたイメージは、財閥と旧日本軍により軍産複合体ができ、その結果が太平洋戦争の惨禍につながったというもの。なので、財閥は悪者という扱いだった。
そして、高度経済成長時代の日本人はエコノミックアニマル(→ Wikipedia)と蔑視されていたような状態。金儲けにしか関心がなく、芸術や文化的なことなど解さない人種というものだった。10代の頃にそんなことを聞かされていたから、高度経済成長の中心にいた大企業(戦前の財閥由来のものも多い)もそんなものだというイメージを持ってしまっていた。
明治時代は実際、歴史の教科書に書いてあったことしか知らない。明治人の精神がどんなものであったかは、長い人生経験でいろいろなことを見聞きして、おぼろげながら見えてくるものだった。去年、リタイア生活に入ってからいろいろ行くようになった展覧会などもそうしたものだ。
帰りは行徳駅に午後6時少し前に着く。雨は降りだしていた。

晩飯はやよい軒でしょうが焼定食。

出かけたときに撮影した写真が多いと、この日記を書き終えるのが遅い時間になりがちだ。日付が変わってから書き終えたときは、投稿時間を日記の標題の日付で23時59分59秒に設定して投稿している。だけど、今日は泉屋博古館で撮影可能な作品がわずかだったおかげで、日記は午後9時前に書き終えることができた。