千葉市美術館で行われている展覧会へ行く。ランチタイムのピークになる前に昼飯をすませようと、午前11時半頃に千葉駅に着くように出かけた。

JR高架下商業施設の地階にある飲食店街で、築地食堂源ちゃんに入る。

サーモンとアボガドの醤油糀漬け丼。

千葉市美術館で今、行われている企画展は「月と星とー美術がつなぐとき」。千葉開府900周年記念特別展ということ。
美術展の紹介サイトで、この展覧会のことを最初に聞いたとき、千葉の開府と月や星がどうつながるのか分からず戸惑った。いろいろ調べると次のようなことだと分かった。
千葉の開府とは平常重が今の千葉市中央区亥鼻に本拠を移したのが1126年(なので今年でちょうど900年)。そして、本拠を移してから千葉姓を名乗るようになったということだ。千葉氏は守護として妙見を信仰していたということだが、妙見信仰とは北斗星と北斗七星を神格化しての信仰。妙見を人の姿にしたものが妙見菩薩、あるいは妙見様。それで、月や星に関わる古くからの美術作品や現代の美術の展覧会となったようだ。
また、千葉氏に関しては、自分はこれまで調べたことがなく、断片的に聞いた話から漠然としたイメージしか持っていなかった。千葉氏が本拠にしていたので、そこから千葉という地名ができたのかと思っていたが、これはまったくの誤解。千葉という地名は万葉の時代からあるもので、平常重が本拠とした地名を姓にしたのだった。
千葉になる前の姓は平だが、平清盛と同じ桓武平氏の一族。同じ一族と言っても時代を経るほどいろいろな系統に分かれ、主に領地絡みのようだが対立が起こってくる。千葉氏となった系統と平清盛の系統との間にも対立があったようで、その結果、千葉開府から数十年後の源平合戦の時代には千葉氏は源頼朝に付いた。
その後の千葉氏は紆余曲折あったが、大名としては続いていた。しかし、戦国時代に小田原北条氏に付いていたことから、豊臣秀吉の小田原征伐後に所領を没収され大名としての千葉氏は滅んだということだ。
さて、千葉市美術館へ向かう前に寄っていこうと思うところがある。それは千葉氏が妙見を祀った千葉神社。神社から美術館へは約300mですぐ。なお、かつてスポーツタイプの折りたたみ自転車であちこち行っていた頃、家から千葉市中心部まで走ったことがあるが、そのときに千葉神社は来ていた。いつだったか記録を探すと16年前で2010年8月15日。朱塗りの社殿が珍しく、最初はお寺かと思ったら実は神社ということでちょっと驚いた覚えがある。
千葉駅正面からの大通りを歩き、千葉都市モノレールと交差するところで脇へ入る。

200メートルぐらい行くと通町公園。樹木の向こうに千葉神社の朱色の建物が見える。

千葉神社は戦災で焼けて昭和20年代に一旦、再建されたということだが、その後、平成に入ってから今あるような朱塗りの社殿が建てられたとのこと。通町公園の側にあるのが分霊社・尊皇殿。

公式サイトによると「神社建築では類例のない楼門と社殿の複合建築物」だということ。
とはいえ、脇のほうに鳥居がある。

神社の正面玄関はやはり鳥居なのでそちらからお参りする。

社殿。これも珍しい重層社殿だという。境内にはお宮参りや七五三参りに来た人たちの姿があった。

社殿の扁額には祀られている妙見の名。

社殿の向かって左には、千葉天神がある。その案内板。

天神様への祈願として、受験合格、学業向上、ボケ封じ、智恵授けとある。自分はリタイアして、情報システム関係の資格試験を受けることはもうない。だけど、今の年齢だと、ボケ封じは祈願しておいたほうがいいと思え、お参りしてきた。
千葉天神。

建物は戦後に再建された社殿のもので、今の朱塗りの社殿ができるときに移築し、天神様の祈祷所にしたということだ。
次はいよいよ千葉市美術館へ。
通りに面してあるが前の歩道からだと建物全体を写せない。まず、下のほう。

そして上のほう。

円い柱のところが入口かと思ったがそうではなく、脇のところから入るようになっていた。

入口脇に企画展「月と星と-美術がつなぐとき」のポスター。
企画展の受付はエレベーターで上がる8階。ところが1階のエレベーターホールのそばにドアがあり、その向こうがホールになっていて、ポスターに写真が載っている彫刻が展示されていた。ここは入場料なしで入ることができた。

この彫刻は、三沢厚彦「ANIMALS」。写さなかったが他の彫刻も置かれていた。上の翼があるライオン(だと思う)の後ろへ回ると、尻尾が蛇だったり背中に人間の顔があたりする。

自分にはすぐに理解できるものではないが、アーティストの感性とはこういうものだと思うしかない。
8階で入場券を買い、「月と星と-美術がつなぐとき」の展示エリアへ。

最初のほうは原則撮影禁止で、一部に撮影可能なものがあった。その中で興味を感じたものを写した。
田岡春径 妙見尊出現之図。1967年(昭和42年)に壁画として描かれたものを修復したものという。妙見を人の姿に描いたもののひとつ。

この作品を含め、最初のほうで撮影可能なものは千葉市立郷土博物館が所蔵するものだった。
次は江戸時代に使われた星図。江戸後期に西洋のものが入ってくるまでは中国流の星図が使われていたということだ。これは中国から持ってこられたであろう星図。

日本人が初めて星図を作ったのは1699年のことだという。渋川春海・渋川昔伊の「天文成象」。

これは1730年にドイツで作られた天球儀。

古い時代から続く星空への興味を、各時代の人間が形にしたものだが、どうもこのコーナーを見ていると美術館というより科学博物館の展示のように思えてきた。
次は現代アートの展示「月星をめぐるアートの現在、そして未来」に入る。

こちらは原則撮影OKで、一部にだめなものがある。
植松琢麿「SCULPTOR’S SNACK̶ GROUND」

ポップコーンを模した彫刻を散りばめて星々に見立てたのだろうと思った。だけど、解説パネルを読むと、コーンが破裂してできるエネルギーや破裂による反転なども意識されているという。
タイガー立石 (立石紘一)の作品

草間彌生「星雲」

草間彌生はついこの間、訃報が流れた。この人は写真や映像での外見のインパクトがやたらと強いため、そちらが印象として残り、実際、作品を間近に見たことはなかった。だけど今回、作品を間近に見ると引き込まれていきそうな、そうした力を感じさせるものだった。
自分がアート展にいろいろ行くようになったのは、リタイア生活に入った去年から。そして、なかなか印象を言葉にしにくい現代アートだが、まずは行ってみて体感すべしと思えるようになっている。今回もその姿勢で体感することにした。
最初の部屋は複数のアーティストの作品が展示されていたが、そのあとはアーティストごとに一部屋の構成。
宮内由梨「星と領土」

暗い空間で映像を映し出す没入型のアート。
曼荼羅+星図という感じだが、近づいて見ると曼荼羅のようなものに描かれているのは仏様ではなく、みんな骸骨。

渡辺泰子の作品

企画展の展示は8階ともう1フロアで7階。次は7階の展示。
まず、青木野枝「光体」

次は真っ暗な部屋でLEDの照明を使った作品(宮島達男「地の天」)があったが撮影禁止。そこから出たところは1階のホールと同じ三沢厚彦「ANIMALS」。

1階のは特大のものだったが、こちらが本来の大きさなのかもしれない。
川内理香子の作品

髙田安規子・政子の作品

一卵性双子のユニットとして活動しているとのこと。
企画展を見終わり、5階の常設展示を見る。そして、5階ロビーにあった展示で、実はこの千葉市美術館は同じ場所に昭和初期に建てられたネオ・ルネサンス様式の旧川崎銀行千葉支店の建物を、すっぽり包み込むように建てられていると知る。その建て方を鞘堂方式といい、さきほどの1階のホールは保存された旧銀行の建物で、今はさや堂ホールという名前になっているということだ。
前にテレビで、千葉市で古い建物を保存するため、包み込む形で新しいビルを建てたものがあるというのを見たことがあったが、それがどこかということまで覚えていなかった。なので、千葉市美術館がそうだというのも最初は気付かなかった。
帰りに1階へ下りたとき、ロビーから改めて見ると、さっきの1階ホール部分が古い建物だということが分かる。

ドアを出てから見ると、こんな感じ。完全に新しいビルの中に入っているのではなく、一部分は外から見ても分かるようになっている。

行徳駅へ帰ってきたのは午後6時少し前。今の季節はその時間はすっかり暗い。

晩飯はやよい軒でチキン南蛮定食。

サバの塩焼や味噌煮は1,000円を超えていた。チキン南蛮と肉野菜炒めが990円とぎりぎりのところ。しょうが焼はまだもうちょっとだけ安い。だけど、いろんなものが次々値上げになるご時世だ。こういうのも1,000円超になるのは時間の問題かもしれない。