今日は神社仏閣めぐりに出かける。けっこう有名だが、一度も行っていないところを2ヶ所。ひとつは府中の大國魂神社。もう一つは府中から京王線で少し先にある高幡不動。
京王線で府中に着いた。
大國魂神社は参道にけやきの大木の並木があることで知られている。府中駅を降りてから参道で大國魂神社の方向を写したものだが、並木はもっと手前からある。
かつて折りたたみ自転車であちこち行っていた頃、このけやき並木を写したことがあった。いつだったか探すと2010年1月下旬に国立から渋谷まで旧道を選んで走ったときのこと。ちょうど、大國魂神社の鳥居の前で旧甲州街道とけやき並木が交差している。
鳥居を過ぎ、参道を随神門へ。
随神門を抜けさらに奥にあるのが中雀門。
ようやく拝殿に到達した。
拝殿の背後にある本殿は、村の鎮守などの小さな神社だとこぢんまりとしたものだが、大きな神社なので本殿も立派な造りで拝殿との間に広い庭が設けられている。
鳥居と随神門の間、参道の脇にある建物。
府中市立のふるさと府中歴史館。見学してくる。
府中という名前の由来は、武蔵野の国の国府があった場所で、国府の中というところからということ。展示は国府絡みが多い。
大國魂神社の例大祭は毎年、ゴールデンウィークの時期に行われているということ。そして、名前が「くらやみ祭」。どちらも今回、初めて知った。2階の小さな部屋だが、くらやみ祭についての展示室があった。また、大國魂神社の公式サイト内にも、くらやみ祭の紹介ページがある。

「くらやみ祭」の呼び名は、かつては夜に街の灯りをずべて消して行っていたことから付いたそうだ。御霊移しのとき灯りをすべて消して行うというのはあるが、祭り自体でそれをやっていたというのは初めて聞いた。今は灯りを消すことはしていないようだが、でも神輿渡御が行われる時間は夜の6時から9時だということだ。
昼飯時になったので、府中駅そばのけやき通り沿いにあるショッピングビルで食べるところを探す。四川料理の麻辣房という店にした。
メニューのシートは複数あったが、その中の”店長おすすめ”から選ぶ。
Bセットにした。ジャージャン麺+陳麻婆丼+ザーサイ+杏仁豆腐。
思ったよりボリュームがあったが、何とか完食。
ショッピングビルのけやき通りとは反対側に出て驚く。そちらが府中駅の正面で、そばばにはロータリーがあってバスが発着し、上部には歩行者用のペストリアンデッキがあって周りのショッピングビルをつないでいる。
自分の府中に関するイメージは、大國魂神社参道のけやき並木の通りがメインストリートというぐらいの、漠然としたものだった。けやき並木の通りがシンボル的な道であることはたしかだが、実際、大木の並木道では駅へ向かう車や人の交通の流動をさばくのは難しそうだ。それで、どうも中心部の再開発で(おそらく京王線を高架にしたあたりと思うが)、駅正面へのメインルートを別に作ったのだろう。
ペストリアンデッキへ上ってみる。写真で左が、さっき昼飯を食べた店があるビル。奥が府中駅。右のビルにはシネコン(TOHOシネマズ)が入っている。
ペストリアンデッキ上の雨除け屋根がある通路には、くらやみ祭の提灯がずらっと掲げられていた。写真の側には見えていないが、観光協会の名前が記されていた。地域の伝統の祭を盛り上げることにも、かなり力が入れられているようだ。
再び京王線に乗って次は高幡不動へ向かう。高幡不動のお寺の由来について詳しいことを知っていたわけではないが、むしろ駅名になっていることで関心を引く。
駅前ロータリー脇にある高幡不動への参道入口。
参道はそれほど長くなく、向こうに山門が見える。
参道を抜け、高幡不動-正確には高幡不動尊金剛寺の正面に出る。
参道の商店街から正面にあるのが仁王門。それとは別に、写真で左端に半分だけ写っている総門がある。
参道の正面だし、仁王門をくぐっていく。くぐった先にあるのが不動堂。
仁王門と不動堂は室町時代に作られたもので、重要文化財に指定されているとのこと。
五重塔。これは昭和50年代以降に作られたものだということ。たしか建物の感じが新しい。
総門から続く参道を進むと、大日堂に達する。
大日堂。こちらがこのお寺の総本堂だということ。元々のものは江戸時代に焼失し、今あるのは昭和50年代以降に再建されたものだとのこと。
大日堂の脇を行くと、多摩丘陵の森の中に入っていきそうに思えるが、お寺の敷地の外は住宅地だった。
何十年も前は、お寺の外はずっと森が続いていたのだろう。
総門のほうへ戻る。高幡不動尊は幕末の新撰組との関わりが深く、副長の土方歳三が地元出身ということでその像がある。
また高幡不動の前には新撰組にちなんだ名前の和菓子類を売る店もあった。
土方像の脇を入っていくと弁天池と弁天祠。
高幡不動駅前へ戻り、もう一度参道を見る。すると、ビルが建ち並ぶ中、そこだけが辛うじて昔ながらの姿を止めている状態だった。
駅前ロータリーの反対側を見ると大きなビルが建ち並ぶ街。
古くからの神社仏閣がある街というのは、参道だけでなくその周りの街も最寄り駅も、昔ながらの姿を止めているようなイメージを持っていた。自分が仕事リタイアしてからすでにいくつか、わりと名前が知られているが、まだ行っていなかった神社仏閣へ行ってみたりしている。そして、特に東京圏で懐かしの風景がある場所は、今や多くはないということを認識するようになってきた。ここ20年、30年、再開発などでどんどんビルが建っていった今の状態がこうだということだ。
高幡不動駅は今は多摩モノレールが来ていて、立川に出られるようで、帰りは立川経由で中野から東西線に乗ろうと考えた。モノレール乗り場はどこだろうと思ったら、京王線の駅からけっこう離れている。写真で奥の方にモノレールの線路が見える。
元からの市街地にモノレールを通すにも導入空間がなかなか確保できなくて、それで少し離れてしまったのだろうと思う。
このモノレールは初めて乗った。
立川へ着く。立川は電車で通ってはいるが、下りて駅の外へ出たのは前はいつだったか。30年以上は前だったと思う。1990年代初めごろに昭和記念公園ができて、一度どんなところかと行ってみたことがある。そのとき、行きは立川駅からもそんなに遠くないので歩いた覚えがある。それ以前だと、1980年代の前半、まだ学生のときにも来たと思う。その頃は、東京圏に住んでいるのだからと休日にいろんな街へ行ったりした。
いずれにせよ最後に来たときから30年以上は経っている。モノレールを降り、JRの駅の北口側に来る。今は、ビル間をつなぐペストリアンデッキが作られている。そのデッキ上からの風景。
上の写真のさらに左のほう。
かつての立川駅北口は大きな建物は少なく、もっと空が広かったという記憶がある。30年、40年前は今よりビルが少なかったこともあるが、立川駅の北の側はかつて米軍基地があって、市街地の範囲が限られていたことも大きな理由ではなかったかと思う。米軍基地の土地が日本に返還され市街地が拡がったし、昭和記念公園も返還された土地の一部を使っている。
そうした中で昔もあったと思うビルの方へ行ってみる。並木がある通り。昔も並木があったかどうかまでははっきりと覚えてはいないが。
この通り沿いに「中武」の看板を掲げた商業ビルがあった。どうも地場系の百貨店だったようで、そこには行ったと思う。特に何か買いたいと思ったわけではないが、他に立ち寄るところもなかったからと言ったほうがいい。
その場所へ行くと、ビルの入口上の大看板に「FROM CHUBU」の文字。
ビル壁面に取り付けられた看板にも「FROM CHUBU」(どうも「F」が「P」に見えてしまうが)。
入って上の階までひととおり見てくる。今は(というかおそらくとっくの昔に)すべてテナントを入れた形の商業ビルになっている。
ビル内の壁に貼られていた案内。見るとマップ上に「フロム中武」とあった。やはり、かつての「中武」の名前は残っていた。
帰ってから調べると、Wikipediaにフロム中武の項があった。それによると、最初は1962年(昭和37年)(自分が赤ん坊の頃だ)に中武デパートとしてできた建物だということ。1984年(昭和59年)にフロム中武の名前になってテナント中心のビルになったということ。1984年は自分が社会人になった年。ということは、自分の記憶にあるイメージはまだ中武デパートのころのものだったのだろう。
行徳駅へ着いたのは午後6時を少し過ぎたころ。晩飯はポニービル2階のガストにする。
チーズINハンバーグとライス。

